【第44話】エミリア・ロマーニャ州出身の著名人:その4 ミケランジェロ・アントニオーニ(Michelangelo Antonioni)
ミケランジェロ・アントニオーニ:Michelangelo Antonioni(1912ー2007年)
イタリアの映画監督。1912年9月29日、フェラーラ生まれ。
彼は、カンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭、ヴェネツィア国際映画祭の
すべてで最高賞を受賞した唯一の監督です。
現代映画を代表する最も重要な人物の一人であり、ルキノ・ヴィスコンティが『郵便配達は二度ベルを鳴らす:Ossessione』を製作したのと同じポー川流域で、ドキュメンタリー『ポー川の人々:Gente del Po』(1943年)を制作し、ネオレアリズモの先駆けとなりました。
戦後、エッセイスト、ドキュメンタリー作家、脚本家としての真摯な活動を経て、長編デビュー作『愛の記録:Cronaca d'un amore』(1950年)を発表。その簡素でパーソナルなスタイルは、イタリア映画の物語全体を反自然主義的な手法で革命的に変化させました。
「不条理と疎外」の探求
これらのテーマとスタイルは、初期の作品群(『敗北者:I vinti』1952年、『情熱の嵐:La signora senza camelie』1953年、『女ともだち:Le amiche』1955年)に反映されました。
その後、『さすらい:Il grido』(1957年ロカルノ国際映画祭金豹賞)の制作中、監督はモニカ・ヴィッティと出会い、公私ともに深いパートナーシップを築き、いわゆる「実存の四部作」を共に制作しました。
愛の冒険:L'avventura(1960年):カンヌ国際映画祭 審査員賞
夜:La notte(1961年):ベルリン国際映画祭 金熊賞
太陽はひとりぼっち:L'eclisse(1962年):カンヌ国際映画祭 審査員賞
赤い砂漠:Deserto rosso(1964年):ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞
これらの作品でアントニオーニは、カップルの危機をきっかけに、60年代社会における広範な「疎外」の問題に取り組み、当時の偉大な作家たちのテーマと直接結びつくような、人間の条件に対する瞑想へと辿り着きました。
『赤い砂漠:Deserto rosso』(1964年)制作中のアントニオーニと
モニカ・ヴィッティ。
上記の「実存の四部作」を共に制作した後、
監督が『欲望』の準備のためにロンドンへ渡るのと時期を同じくして、
二人は破局しました。
国際的な活動と「危機の三部作」
続く10年間、アントニオーニはそれまで活動の場としていたイタリアという枠組みから距離を置き、新たな空間へと文化的地平を広げ、国外で制作された3つの傑作を通じて、それぞれの「危機の状態」を描き出しました。
欲望(Blow-up)(1967年):観念的な視点から見た「思考の危機」。
砂丘(Zabriskie Point)(1970年):社会学的な視点。
さすらいの二人(Professione: reporter)(1975年):道徳的・実存的な視点。行動の危機、すなわち「行うことの現実」がもはや「真実」とは一致しなくなった状態。
この三部作は、アントニオーニを最も個性的で現代的な映画作家たらしめている表現力、詩情、スタイルを裏付けるものとなりました。彼は単に新しい言語や技術の創始者であるだけでなく、「新しい劇作術:ドラマツルギー」の創始者でもあったのです。
⇐さすらいの二人(Professione:reporter)(1975年)
1986年、約14年間の交際を経て、監督は40歳年下のドキュメンタリー作家エンリカ・フィコと再婚しました。彼らの絆は、アントニオーニが脳虚血(脳卒中)に見舞われた後の困難な時期にさらに強まり、監督が亡くなるまで続きました。晩年は病によりコミュニケーション能力が著しく制限されましたが、絵画に専念し、いくつかの展覧会を開きました。
2007年7月30日、妻に見守られながら、ローマの自宅にて94歳で死去しました。
【主な功績】
• 1983年:ヴェネツィア国際映画祭 栄誉金獅子賞
• 1995年:アカデミー名誉賞
引用文献 :ANTONIONI, Michelangelo - Enciclopedia
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