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【第38話】トスカーナ州出身の著名人:その14 オリアーナ・ファッラチ(Oriana Fallaci)

オリアーナ・ファッラチ(フィレンツェ、1929~2006)
オリアーナ・ファッラチは、20世紀のイタリア・ジャーナリズム界において最も象徴的な人物の一人でした。その独特なスタイルと、恐れを抱かずに立ち向かう取材への勇気によって、現代文化に消えることのない足跡を残しました。
コリエーレ・デッラ・セーラ紙の元編集長フェルッチオ・デ・ボルトリ氏は彼女を「我々の最も有名な女性作家」と呼び、ロサンゼルス・タイムズ紙は彼女を「事実上世界の誰もが否定しないジャーナリスト」と評しました。
1929年6月29日にフィレンツェで生まれた彼女は、自由とレジスタンス(抵抗運動)の価値観が深く刻まれた環境で育ちました。第二次世界大戦中、まだ十代だった彼女はイタリアのレジスタンス運動に参加しました。この経験が彼女の性格を形成し、闘争心を養うことになります。反ファシストの活動家であった父エドアルド・ファッラチが、幼い彼女をファシズム政権とナチス占領に対する抵抗運動へと導いたのです。
彼女は最初、医学の道に進みますが、執筆への情熱のためにすぐに中退します。1950年代にジャーナリストとしてのキャリアをスタートさせ、イタリアの主要な雑誌と提携。雑誌『エポカ(Epoca)』でデビューし、その後『レウロペオ(L'Europeo)』で活動しました。後にニューヨークへ移住し、経済成長に沸くアメリカ社会の矛盾や、人種間の緊張といったテーマを扱った記事を執筆しました。
1960年代から70年代にかけて、彼女は非常に有名なレポーターとなります。ベトナム戦争や中東紛争といった現代の中心的課題に取り組み、影響力のある政治家や著名人、時の人々にインタビューを行いました
戦場ジャーナリスト、オリアーナ・ファッラチ
オリアーナ・ファッラチのキャリアは、1960年代に戦派特派員としての役割を引き受けたことで決定的な転換期を迎えます。彼女はベトナムに赴き、極めて冷静かつフィルターを通さないありのままの言葉で紛争を伝え、同時代で最も大胆なレポーターの一人としての地位を確立しました。ベトナムでの仕事は、同僚からの尊敬だけでなく、国際的な確固たる名声も彼女にもたらしました。
その後の数十年間、ファッラチはインド・パキスタン戦争、中東危機、チリのクーデターなど、極めて重要な歴史的出来事を記録しました。1968年、メキシコシティでの学生デモを取材中、トゥレクルトゥラーレ広場の虐殺に巻き込まれ重傷を負います。しかし、この事件は、真実がたとえ不都合で危険なものであってもそれを伝えるという彼女の信念を、より強固なものにしました。
そのキャリアを通じて、ファッラチは権力者に対して恐れを抱かずに立ち向かう能力で際立っていました。政治指導者、宗教的権威、著名人へのインタビューは国際的な名声を博しました。彼女がインタビューした著名な人物には、アヤトラ・ホメイニ、ゴルダ・メイア、インディラ・ガンディー、ムアンマル・カダフィ、ヘンリー・キッシンジャーなどが名を連ねています。
ホメイニ師へのインタビューの後に『Ayatollah』のタイトルで本を出版しましたが、同書はイランでは発禁処分となりました。彼女の著作活動は多岐にわたり、ジャーナリズムのルポルタージュから小説まで幅広く展開しました。

彼女は晩年をニューヨークで過ごし、肺ガンとの闘病生活は『the Other One』の中で語っています。彼女は死の前日、2006年9月14日にイタリアに帰国し、生まれ故郷のフィレンツェの病院で9月15日の夜に死去しました。
『生まれてこなかった子への手紙』(1975年):
この作品は世界中で爆発的なヒットを記録し、数百万部を売り上げました。
Miss Fallaci - Trailer Ufficiale (2024)
参考文献 :Oriana Fallaci, il coraggio di scrivere
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