2026 年 7 月 8 日公開
【第49話】エミリア・ロマーニャ州出身の著名人:その9 グリエルモ・マルコーニ (Guglielmo Marconi)
グリエルモ・マルコーニ :Guglielmo Marconi (1874-1937年)
1874年、ボローニャの裕福な家庭に生まれたマルコーニは、幼い頃から電磁物理学に情熱を傾けていました。21歳の時、ポンテッキオにある父の別荘で、電磁波(ドイツの物理学者ヘルツにちなんでヘルツ波と呼ばれる)を用いたモールス信号の長距離伝送実験に初めて成功しました。マルコーニは既存の送受信装置を活用し、アンテナを開発しました。この革新は、彼の通信技術の成功に決定的な影響を与えました。
イタリア国内では自身の発明を実用化するための資金調達が不可能であることを悟ったマルコーニは、母親アニー・ジェイムソンの出身国であるイギリスへ渡り、そこで幸運を手にすることになります。
1897年には、無線電信信号会社(Wireless Telegraph and Signal Company)を設立し、ケーブル網に頼ることなく、いつでも、どんな天候でも通信を確保できる技術を長年探していた英国海軍の無条件の支援を得ることに成功しました。若きマルコーニと彼の発明は、複数の新聞社との協力によっても注目を集めました。
1898年7月に開催されたキングスタウン(現・ダン・レアリー)レガッタにおいて、グリエルモ・マルコーニは海上の汽船「フライング・ハントレス号」から陸上へとマルコーニ通信(無線電信)を送信し、スポーツ競技のリアルタイム実況を世界で初めて実現しました。
これは、ダブリンの新聞『Daily Express』が新しい試みとしてチャーターした汽船から無線電信を送信し、25マイル(約40km)離れた沖合から岸へ、合計700通以上のメッセージが送受信されました。
この成功がヴィクトリア女王の関心を惹き、負傷療養中の皇太子(後のエドワード7世)が乗る王室ヨットと、オズボーン・ハウスの女王との間でも無線通信が行われる契機となりました。
信頼性の高い大洋横断通信を得るための実験は、1907年にマルコーニ社が設立されるまで続けられました。同年10月、同社は大西洋を横断する初の定期的な公共無線電信サービスを開始し、船舶が無線でSOS信号を送信できるようになり、海上での無線遭難の有用性は、1909年に実証されました。
1909年1月23日 午前4時過ぎ、アメリカのナンタケット島沖の濃霧の中で、ホワイト・スター・ライン社の豪華客船「リパブリック号」と、イタリアの貨客船「フロリダ号」が衝突し、破損した船内で、マルコーニ社の無線通信士ジャック・ビンズは極寒と暗闇の中、予備のバッテリーを駆使して長時間の救難信号の送信を敢行しました。
複数の船が彼の信号を傍受して現場に急行。リパブリック号の乗客・乗員は一度フロリダ号に移されたのち、駆けつけた客船「バルティック号」などによって全員が救助されました。この救出劇により、無線通信の重要性が世界中に知れ渡ることとなりました。
ビンズ自身も「海の英雄」として世界中で称賛を浴び、のちの船舶への無線機器の搭載義務化や、2名の通信士の常駐を提言するなど、その後の海上安全基準の発展に大きく貢献しました。
1909年にノーベル物理学賞を受賞 したマルコーニは、イタリアで科学の天才として称賛されただけでなく、国際機関との良好な関係から、イタリアの外交政策においても重要な役割を担うようになりました。1912年に上院議員に任命され、イタリアとイギリスの関係において重要な役割を果たし、1915年の協商国側でのイタリア参戦の準備に尽力したのです。1919年には、パリ講和会議にイタリア代表として出席しました。
彼は国営ラジオ放送網とバチカン放送網(1931年開局)の設立に協力し、テレビの初期段階やレーダーシステムの実験を監督しました。ファシズムの20年間、彼はイタリア国民の天才性を体現する生きた例として、学校の教科書にも取り上げられ、1937年、ローマで亡くなりました。
マルコーニとタイタニック号の奇跡
1912年のタイタニック号沈没事故において、マルコーニの無線機は「何百人もの命を救ったヒーロー」として語り継がれています。
1. 救命の鍵となった「SOS」
当時、船に無線機を設置するのはまだ義務ではありませんでしたが、タイタニック号には最新のマルコーニ社製無線機が搭載されていました。 船が氷山に衝突した際、航海士たちは無線でSOSを発信し続けました。この信号を近くの客船「カルパチア号」が受信したことで、700人以上の生存者が救助されることになったのです。
2. 「無線がなければ、誰も助からなかった」
事故の後、生存者の一人は「マルコーニ氏と彼の素晴らしい発明のおかげで、私たちはここにいる」と語りました。また、当時のイギリス郵政大臣も「救われた人々は、マルコーニ氏とその素晴らしい発明に命を預けたのだ」と賞賛しています。
この事故をきっかけに、海上の安全ルールが劇的に変わりました。
*無線の義務化: すべての大型船に24時間体制の無線運用が義務付けられました。
*グローバル企業へ: 彼の設立した「マルコーニ社」は、世界の海上通信を独占するほどの巨大企業へと成長しました。
*理学から実用へ: それまで実験室の中だけの現象だった電磁波を、「遠くの人と話すための道具」へと変えたのが彼の真の功績です。
1990年から2001年にかけて発行された、グリエルモ・マルコーニの肖像が描かれた額面2,000リラのイタリア紙幣。
引用文献 :Gugliemo Marconi - Biografia
次回2026年7月18日は「Alberto Tomba」です。