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【第48話】エミリア・ロマーニャ州出身の著名人:その8 ルチァーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti)

ルチァーノ・パヴァロッティ:
Luciano Pavarotti (1935-2007年)
1935年10月12日、モデナに生まれた
ルチァーノ・パヴァロッティは、パン屋の父と工員である母のもとに育ちました。

音楽への情熱は、アマチュアのテノール歌手であった父から受け継がれ、幼い頃からオペラの世界に触れてきました。
若い頃は小学校の教師を目指して勉強していましたが、自身の真の情熱である歌の道へ進むため、早々にそのキャリアを断念しました。
数年の研鑽を積んだ後、1961年にレッジョ・エミーリアの市立劇場にて、ジャコモ・プッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』のロドルフォ役でプロのオペラ歌手としてデビューを果たしました。それ以来、パヴァロッティのキャリアは飛躍的に伸び、世界で最も権威のある舞台へと導かれました。
1960年代から70年代にかけて、パヴァロッティはその卓越した声の明瞭さ、力強さ、そして比類なきコントロール力により、不動の地位を築き上げました。彼が特に輝きを放った作品には、『椿姫』、『リゴレット』、『トスカ』、『愛の妙薬』などがあります。 ニューヨークのメトロポリタン歌劇場、ミラノのスカラ座、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスといった主要なオペラ劇場での彼の公演は、観客と批評家から絶賛されました。
彼の芸術キャリアの頂点を象徴する瞬間は、1972年に訪れました。メトロポリタン歌劇場での『連隊の娘』の公演中、パヴァロッティは有名なアリア「友よ、今日は楽しい日:Ah! Mes Amis」で、9回ものハイC(高音のド)を見事に歌い上げました。
このパフォーマンスは前例のないスタンディングオベーションを巻き起こし、彼は17回もカーテンコールに応じました(現在に至るまで破られていない記録です)。これにより彼の名は世界中に知れ渡り、「ハイCの王(Re dei Do di Petto)」という愛称が定着しました。
(1972年2月17日:『連隊の娘』、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場にて)
パヴァロッティは単なる傑出したオペラ歌手にとどまらず、観客と深くつながることのできるパフォーマーでもありました。その温かく親しみやすい人柄により、世界的に認められた著名人となり、オペラをより広く大衆的な観客へと届けました。
パヴァロッティのキャリアの最も革命的な側面の一つは、音楽ジャンルの垣根を越え、全く異なる世界のアーティストたちとコラボレーションする能力でした。1990年代には、慈善コンサートシリーズ「パヴァロッティ&フレンズ」を主導し、U2のボノ、エルトン・ジョン、スティング、ライザ・ミネリなど、ポップスやロック界のビッグネームと共演しました。
しかし、彼の最も偉大なコラボレーションといえば、同僚のプラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスと結成した伝説的なトリオ「三大テノール」でしょう。1990年のサッカーワールドカップ・ローマ大会の決勝戦を記念して行われた彼らの初の共演は、前例のない成功を収め、そのCDとDVDはクラシック音楽史上最も売れた記録となりました。「三大テノール」は、その後も世界中で公演を行い、世界的現象を巻き起こしました。
ルチァーノ・パヴァロッティとダイアナ妃は、慈善活動への深い関心を通じて親密な友情を築きました。
パヴァロッティは1998年に国連から「ピース・メッセンジャー:Messaggero di Pace dalle Nazioni Unite」に任命され、2001年には世界中の難民のための資金調達活動が評価され、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)から「ナンセン難民賞:la medaglia “Nansen” dell’Alto Commissariato delle Nazioni Unite」を授与されました。また、その人道支援活動に対して「ロンドン名誉市民賞:Freedom of the city of London Award」や、人類への貢献を称える「赤十字賞:Il premio della Croce Rossa 」も受賞しています。
引用文献 :Luciano Pavarotti, cantante tenore: biografia e curiosità
次回2026年7月8日は「Guglielmo Marconi」です。