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【第24話】ウンブリア州出身の著名人:その2  ピエトロ・ヴァヌッチ(Pietro Vanucci detto il Perugino)

ピエトロ・ヴァヌッチ、通称イル・ペルジーノは(1448年頃 -1523年)、ペルージャ近郊のチッタ・デッラ・ピエーヴェで生まれました。
彼は、フィレンツェでヴェロッキオの工房に通い、ポッライオーロ、ボッティチェッリ、レオナルド、そしてピエロ・デッラ・フランチェスカの芸術からインスピレーションを受けました。特にピエロ・デッラ・フランチェスカからは、明確に定義された遠近法と空間構成を模倣しています。
1478年、彼はローマの教皇エウゲニウス4世に呼ばれ、今日では失われた受胎告知の礼拝堂を装飾しました。
1481年には、教皇シクストゥス4世の意向により、ウンブリアとトスカーナの最高の芸術家たちが教皇庁に招集されました。その結果、「礼拝堂」には芸術家で溢れた作業場が設けられました。そこでペルジーノとボッティチェッリは、ピントゥリッキオ、ギルランダイオ、シニョレッリなどと共に共同で作業しました。要するに、歴史上、ここで重要な芸術家たちの出会いがあったのです。
この礼拝堂で、ペルジーノは弟子たちの助けを借りながら、1481年から1483年の期間にわたり様々なフレスコ画を制作しました。彼の傑作とされる『鍵の授与』もそのうちの一つです。この作品では、壮大な構成の枠組みと均衡の取れた古典的な荘厳さが採用されており、ラファエロの『聖母の結婚』にも模範とされました。
『鍵の授与』の右側のグループには、鑑賞者を見つめる黒い服を着た人物がおり、これはペルジーノの自画像とされています。

この絵画の構成の中心は、背景にそびえ立つ神殿であり、そこから舗装路の線が放射状に伸びています。前景には、画家自身を含む多くの人物が配され、その構成は神殿の背景と見事に調和しています。
この巨匠の絵画を特徴づけているのは、太い柱の上に設けられたロッジアの構成と、例えばワシントンの『幼子を抱く聖母』に見られるような、穏やかで微笑んだ表情の卵形の顔をした女性像です。
その後の数年間で、この芸術家が獲得した名声は非常に大きなもので、イタリアの主要都市に招かれ、絶大な人気を誇る売れっ子画家として、多くの宗教画、特に祭壇画を残し、尊敬を込めて「神の如き画家(Divin Pittore)」とも称されています。
画家は1523年にフォンティニャーノで亡くなりました。
起業家精神を持つ画家
ミケランジェロが歴史上最も高額な報酬を得た芸術家であったという認識が一般的です。一方、ペルジーノは初期の職業画家の一人であったと断言できます。その証拠に、彼の非常に広範な制作活動があります。彼は約200点の作品を描き、システィーナ礼拝堂の初期の装飾段階の主役の一人でした。しかし、トスカーナの芸術家(ミケランジェロ)と同様に、ペルジーノにも起業家的な側面がありました。1493年、建築家の娘と結婚し、自身の工房を持つようになります。フィレンツェに工房を所有した後、1501年にはペルージャにもう一つの工房を開きました。ペルジーノは、精力的な働き手であり、ヴェロッキオの弟子であり、ラファエロとピントゥリッキオの師でもあり、レオナルドの学友でもありました。
引用文献:Storiadellarte.com https://www.storiadellarte.com › Vita di Pergino
次回10月28日は「Dante Alighieri」です。