2025 年 10 月 8 日公開
【第23話】ウンブリア州出身の著名人:その1 フランチェスコ・ダッシジ (Francesco d’Assisi)
Francesco d'Assisi (c. 1181 – 3 October 1226)
聖フランチェスコは、1182年(または1181年)9月26日、ウンブリア州アッシジで生まれました。
父ピエトロ・ベルナルドーネは裕福な毛織物商でした。フランチェスコは恵まれた青年時代を送り、優れた文学教育を受けました。
この時期、イタリアの諸都市においては、神聖ローマ皇帝のドイツ勢力(皇帝派)とローマ教皇の勢力(教皇派)が対立し、都市内の領主や貴族・騎士と平民が対立していました。アッシジでは1198年から1200年にかけて反乱が起き、平民勢力によって貴族や騎士たちが町から追放されました。隣町のペルージャに逃亡していた貴族たちがアッシジに戦争を仕掛けたのが1202年のことでした。フランチェスコも戦闘に参加したもののた、アッシジは敗北し、1年以上にわたる投獄生活の中で、深い宗教的危機を経験し、それによってキリスト教の真の原理を発見しました。
アッシジに戻ると、彼は生活を一変させます。家族の富やあらゆる現世の財産を放棄し、貧困、謙遜、神とすべての人々への愛に触発された生活を選びます。彼は、数少ない仲間と共に福音の説教を始めます。
「着物を返すフランチェスコ」(画:ジョット・ディ・ボンドーネ、1305年頃)
着ていたものを全部脱いで父に返し、世俗とのきずなを完全に絶ったフランチェスコ。
1209年、聖フランチェスコとその仲間たちはローマに行き、教皇イノチェンツォ3世から口頭で会則の承認を受けます。こうして小さき兄弟会(フランシスコ会)が誕生しました。
アッシジに戻ったフランチェスコは、彼の考えに共鳴したアッシジの貴族の娘であるキアラと共に女性の修道会であるクララ会を設立します。
⇐ キアラはまだ19歳でしたが、フランチェスコのプロジェクトに参加することを固く決意していました。
その後、アフリカ、オリエント、ドイツ、フランス、ハンガリー、イングランドなどへ宗教的な布教の旅に出ます。イタリアに戻ると、彼はフランシスコ会の指導権をピエトロ・カッターニに、その後フラテ・エリアに譲ります。その間に、フラテ・チェザリオ・ダ・スピラと共に第一次会則(Regola prima)を準備し、後に宗教的な行動規範である第二次会則(Regola seconda)の最終版を口述します。
1223年11月29日、教皇オノリオ3世がフランシスコ会の会則を承認し、正式なものとなります。
⇐ 「聖痕を受けるフランチェスコ」(画:ジョット、1325年)
言い伝えによると、聖フランチェスコは1224年9月にヴェルナ山で聖痕(stigmate)を受けます。衰弱した彼の体に加えて、重い目の病気も発症しました。目上の人の勧めで治療のためにリエーティに向かいますが、治療は効果がありませんでした(1225年〜1226年)。
1226年、死期が近いことを悟り、自分が最初に建てた小さな教会、アッシジ近郊のポルツィウンコラに運ばれることを求め、土の中にそのまま埋葬されることを望みます。
聖フランチェスコは、極度の貧困の中で1226年10月3日に亡くなりました。
フランチェスコ・ダッシジ:聖人、イタリアの守護聖人
1228年7月16日、教皇グレゴリウス9世によってフランチェスコ・ダッシジは聖人に列せられます。
1939年6月18日、教皇ピオ12世は、彼をシエナのカタリナと共にイタリアの守護聖人と宣言します。
バジリカは、聖フランチェスコが埋葬されることを望んだ場所に建っています。
バジリカが建つ丘は、中世には死刑囚が埋葬されていたため「地獄の丘」として知られていましたが、
バジリカの最初の石が置かれた際に「楽園の丘」と改名されました。
アッシジの旧市街(現在の市壁の内部)西側に壮麗なゴシック建築「聖フランチェスコ聖堂」があります。この聖堂の建設は1228年に着手され、1230年には早くも下部教会が完成してフランチェスコの遺骸が移されました。さらに1239年には上部教会も完成し、巨匠ジョット・ディ・ボンドーネによって「聖フランチェスコの生涯」が描かました。これはフランチェスコの事績を28枚のフレスコ画であらわしたものであり、鳥に説教するなどの聖人のイメージを広めました。フランチェスコの墓は、1818年に発見されて今では公開されています。
「特別な教会(specialis ecclesia)」、すなわち「地球上で最も美しい祈りの家」と称されるこの場所は、調和、美、そして神聖によって包み込まれています。
引用文献:Art e Dossier-Francesco d'Assisi
次回10月18日は「Pietro Vanucci detto il Perugino」です。