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【第18話】アブルッツオ州出身の著名人:その2  ガブリエーレ・ダンヌンツィオ (Gabriele D’Annunzio)

ガブリエーレ・ダンヌンツィオ (Gabriele D'Annunzio)(1863-1938)
ガブリエーレ・ダンヌンツィオは1863年3月12日、アブルッツオ州のペスカーラでブルジョア家庭に生まれました。一家は伯父アントニオ・ダンヌンツィオの莫大な遺産で生活していました。彼はプラートのチコーニーニ大学で高校を卒業し、在学中に最初の詩集『Primo vere:早春』を父親の費用で出版し、早くも成功を収め、当時の文芸雑誌に寄稿するようになりました。

1881年、文学部に登録し、ローマに移りますが、大学を卒業することなく、愛と冒険に満ちた豪華な生活を送りました。若きダンヌンツィオは、間もなくローマの文化的・世俗的な生活の中心人物となります。


Gabriele D'Annunzio a 7 anni.(ダンヌンツィオ 7歳)
ダンヌツィオの最初で唯一の妻となった
女公爵マリア・アルドゥイン・ディ・ガッレセ
『Canto novo』と『Terra vergine』(1882年)の成功の後、1883年には女公爵マリア・アルドゥイン・ディ・ガッレセとの駆け落ちと結婚が大きな反響を呼び、彼女との間に3人の子供が生まれます。彼は詩集『l'Intermezzo di rime』を著し、その「慎みのなさ」が激しい論争を巻き起こしました。自伝的な要素を多く含む彼の最初の小説『Il piacere:快楽』(1889年)は、この世俗的で美的感覚に満ちたローマでの若者時代を象徴する作品です。1894年、彼は新しい小説『Il trionfo della morte:死の勝利』を出版しました。彼の作品は、イタリア国外でも流通するようになります。
ローマで送った生活は彼を借金まみれにし、債権者から逃れるためにイタリア半島を転々とします。ヴェネツィアに到着した彼は、後に彼の生涯をかけた大恋愛の相手となる美しい女優エレオノーラ・ドゥーゼと出会います。ダンヌンツィオは彼女と共に旅をし、彼女にインスピレーションを得て多くの作品を書きました。この時期は、ニーチェを読み、超人の概念を自分のものにするようになった時期でもあります。超人思想は、彼の耽美主義の自然な延長のように思えます。なぜなら超人は、あらゆる社会的因習から離れ、文明社会やその制約に反抗する自由でほとんど動物的な精神として生まれ変わる存在だからです。この大スキャンダルとなった男女関係は1910年に終りを告げます。
この時期に彼はまた、演劇のための作品を書き始め、もう一つの重要な小説『Il Fuoco:炎』を書き、そしてイタリア王国の下院議員になりました。この立場から、彼は第一次世界大戦中にイタリアが参戦することを求めて戦いました。     
Eleonora Duse
そして彼は実際に紛争に直接参加し、いくつかの空戦に参加しました(彼はパイロットでもあります!)。負傷した後、片目の視力を失い、その療養中に小説『Il Notturno:夜想曲』を執筆しました。右目を失ったにもかかわらず、彼はブッカーリの嘲笑やウィーン上空の飛行といった有名な功績に参加して国民的英雄となりました。戦争の終結後、1919年に彼は一団の軍団兵を率いてフィウーメに行進し、その都市を占領しました。
その後、彼は国民的英雄として称賛され、ガルダ湖畔のカルニャッコにある別荘に隠遁しました。この別荘は後に、イタリアのヴィットリアーレ博物館・霊廟に変わりました。
今日、ヴィットリアーレ財団は一般公開されており、毎年約18万人が訪れます。ダンヌンツィオは、まさに比類のない生涯を送った後、1938年に亡くなりました。
トスティとダンヌンツィオ
1880年.当時17歳だったガブリエーレ・ダンヌンツィオは、画家ミケッティの邸宅で、既に名声を博していたフランチェスコ・パオロ・トスティと初めて出会いました。数か月後、『Vision:幻影』が作曲され、アブルッツォ出身の二人の芸術家による共同制作の始まりとなりました。二人はトスティが1916年に亡くなるまで親しい友人であり続けました。
トスティとダンヌンツィオのコラボレーションの作品には、 languore (倦怠)、sensualità (官能)、pene d'amore (恋の苦しみ)、malinconia (憂鬱)、sofferenza (苦悩)、amarezza (苦味)、dolcezza (甘美さ) が交互に現れています。1888年にダンヌンツィオがTribuna紙に書いた言葉そのものが、親友である作曲家との緊密な芸術的結びつきを物語っています。
「パオロ・トスティは、気分が乗っている時には何時間も音楽を作り続け、疲れることも、ピアノの前で我を忘れることもありませんでした。時には即興で、実に並外れた情熱と創造の喜びを持って…音楽が私たちを魔法の円の中に閉じ込めていたのです。」
この本の紹介文より:
ガブリエーレ・ダンヌンツィオは、ジョイス、プルースト、三島由紀夫を魅了した、近現代イタリアを代表する文学者であり、イタリア詩の伝統を受け継ぐ最後の天才、「詩聖」と称された詩人である。
しかし一方で、第一次大戦参戦をめぐる過激なナショナリストとしての運動は、「ファシズムの先駆者」ともいうべき存在であり、ムッソリーニに強い影響を与え、第二次大戦後は批判されてきた。ムッソリーニはダンヌンツィオから、独裁政治の思想と手法、協調組合主義、大衆宣伝、暴力的な弾圧などを学んだとされる。
本書は、破天荒な生涯を送った傑物の全貌を、英国伝記文学の伝統に連なる叙述で、歴史にも目配りしながら、生き生きと描いている。イタリアの国民的詩人にしてナショナリストのデマゴーグ、戦争の英雄にして色事師……いくつもの貌を持つ奇才のスキャンダラスな生涯に迫る、評伝の決定版。
本書は、優れたノンフィクション作品に授与される、サミュエル・ジョンソン賞、コスタ賞、ダフ・クーパー賞をトリプル受賞した。
引用文献:A-VITTORIALE degli Italiani: Gabriele D'Annunzio
次回8月28日は「Raffaello Sanzio」です。