【第51話】リグーリア州出身の著名人:その1 クリストフォロ・コロンボ (Cristoforo Colombo)
Cristoforo Colombo(クリストフォロ・コロンボ 1451~1506年)
クリストフォロ・コロンボは、1451年にジェノヴァで織物商の家庭に生まれました。 幼い頃から海での生活に魅せられ、わずか14歳で商船に乗り込み、多くの遠隔地を訪れました。
1477年、ポルトガルのリスボンに移住し、そこで地理学、天文学、地図作製の勉強を始めたことで、遠くの新しい土地を発見するというアイデアに夢中になりました。 彼は旅行者たちの話、とりわけマルコ・ポーロのものや、中国への道のりについての証言に強く心を動かされました。クリストフォロは、東回りではなく西へ向かって航海すればアジアに到達できると確信し、それによって税金や関税の支払いを避け、海を渡るだけで目的地に行けると信じ込むようになりました。 彼の確信は誤った計算に基づいたものでした。地球が平らだとまだ考えていた当時の人々とは異なり、彼自身は地球が丸いことを確信してはいたものの、それを実際よりもはるかに小さく見積もっていたため、約2週間の航海でアジアに到達できると考えていたのです!
また、彼には資金援助者が必要だったため、ポルトガル国王に援助を求めましたが、国王はこれを拒否しました。そこで彼はスペインの女王イサベッラに助けを求めました。女王は当初、危険すぎる旅だとして拒否したものの、最終的には説得に応じました。
クリストフォロは、1492年8月3日、スペインのパロス・デ・ラ・フロンテラ港から、ニーニャ号、ピンタ号、サンタ・マリア号という当時としては非常に大きな帆船3隻に約120人の乗組員を乗せて出航しました。 航海は最初から困難で予想以上に危険なものであり、クリストフォロは、引き返すことはもはや不可能であり進み続けなければならないと、疲れ果て苦悩する船員たちを説得しなければならない状況に置かれました。
1492年10月12日:クリストフォロ、新世界に上陸。
幸いなことに、ある朝、水面に浮かぶ新鮮な花が目撃されました。陸地が近いのです! 実際、36日間の航海の末、1492年10月12日に乗組員が海岸を発見しました。陸だ!!!
しかし彼らが到達したのはインドではなく、後にアメリカと呼ばれることになる新しい大陸でした。クリストフォロは上陸した島をサン・サルバドルと名付けました。この島は現在、バハマの一部となっています。彼は、1493年3月にスペインに、金、タバコ、オウム、さらには10人のタイノ族の「インディアン」を持ち帰り、大変な名誉と盛大な祝祭をもって迎えられました。
アジアへの最初の遠征に続いて、さらに3回の遠征が行われました。 その後の航海のおかげで、現在パナマに至るまでの他の島々や領土が発見されましたが、期待されたほどの莫大な富が見つからなかったため、乗組員の間やスペイン宮廷内でも不満が広がっていきました。クリストフォロ・コロンボの幸運は急速に尽き果て、最後の遠征の許可を得る少し前には、短い間ではあるものの逮捕さえされました。4回目の航海のあと、彼はバジャドリードで隠居生活を送ることを決め、1506年に、事実上不遇の身のままそこで亡くなりました。
イタリア国立造幣局はクリストフォロ・コロンボの偉業を称え、アメリカ発見500周年を記念して1989年から1992年にかけて、500リラ硬貨を毎年1枚ずつ、計4枚鋳造しました。
引用文献 : Cristoforo Colombo: la sua storia
次回2026年8月8日は「Niccolò Paganini」です。