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【第4話】サルデニア島出身の著名人:その1 グラツィア・デレッダ (Grazia Deledda)

※2024年4月から森下文化センターのイタリア語講座で教材として取り上げている内容を
編集して載せています。

【第4話】サルデニア島出身の著名人:その1

グラツィア・デレッダ (Grazia Deledda)
「もし私がイタリア文学において何か価値があるとするならば、それは全て私の聖なる島のおかげです。私はとても小柄で、サルデニアの女性たちと比べても小さいですが、巨人と同じくらい大胆で勇敢です。」とグラツィア・デレッダは自身について書いています。
グラツィア・デレッダは1871年にサルデニア島のヌーオロで、裕福な家庭の7人兄弟の5番目として生まれました。
小学校卒業後、独学で文学の勉強を続け、"La Ultima Moda"誌に作品を発表し始めました。彼女の小説は、故郷サルデニア島の社会的、文化的現実を克明に描いています。1888年から1890年にかけて、ローマ、サルデニア、特にミラノの様々な雑誌に寄稿し、1891年には、最初の小説 ”Fior di Sardegna (サルデニアの花)”を出版し、その後、 ”Anime oneste (誠実な魂)、 ”La via del male (悪の道)、 ”Elias Portolu”、 ”Cenere (灰)”、”L’edera (蔦)など、数多くの小説を発表しました。

1899年10月には陸軍省の官吏であるパルミロ・マデサーニと出会い、1900年に結婚、その後ローマに移り住みました。
1926年、彼女は「故郷の隔絶された島での生活を立体的な形で描き出し、深い共感をもって普遍的な人間の関心事を扱った、高い理想に裏打ちされた作家としての力量」により、<ノーベル文学賞>を受賞しました。
スウェーデンのSelma Lagerlöfに次いで2人目の女性、そしてイタリア人女性としては唯一の受賞者となりました。
1927年12月10日土曜日、ストックホルムで栄誉ある賞を受賞するために数日前に夫と到着しました。この長く骨の折れる陸と海を越えて極寒の北部への旅は、ガブリエラ・ロサレヴァの映画「ストックホルムへの旅」で語られています。
ノルウェーの格安航空会社ノルウェー・エアシャトルは、ノーベル文学賞を受賞した彼女に敬意を表し、2019年初頭から1926年までボーイング737 MAX 8の尾翼の両側を、彼女の肖像画で飾りました。同社の航空機に登場する119番目の有名人、クリストフォロ・コロンブスとマルコ・ポーロに次ぐ、3番目のイタリア人となります。

彼女は晩年の小説の一つ "La chiesa della solitudine (孤独の教会)" の中で描いたのと同じ病に冒され、1936年8月15日にローマで亡くなりました。
死後、彼女の最も自伝的な作品”Cosima, quasi Grazia (グラツィアのようなコジマ)" が出版されました。天才的なサルデーニャの作家の遺体は、現在ヌーオロの"la chiesa della Solitudine"に安置されています。
グラツィア・デレッダの生誕150周年を記念して記念切手、記念硬貨も発行されました。

引用文献:
Grazia Deledda: scrittrice (quasi) per istinto
Racconti sardi. Grazia Deledda - Catartica Edizioni

次回4月8日は「ガヴィーノ・レッダ:Gavino Ledda」 です。