Il Signor Volare : Domenico Modugno : Mr.ヴォラーレ ドメニコ・モドゥーニョ(1958-1994)
ドメニコ・モドゥーニョの歌、特に1958年の「ヴォラーレ」は、20世紀の50年代から60年代にかけてのイタリアの経済成長期を彩りました。その解放的な力強さと、広がりを持つ旋律によって、それまで軽んじられていたジャンルに品格を与え、イタリアのポピュラーソングを詩的な作品の地位へと高めることに貢献しました。
1928年にバーリ県のポリニャーノ・ア・マーレで生まれたドメニコ・モドゥーニョは、歌手、映画・舞台俳優として活躍し、イタリアの音楽界における最初のシンガーソングライターの一人とされています。彼の絶大な人気は、イタリアのポピュラーソング史上最大のヒット曲である「Nel blu dipinto di blu」(青く染まった青の中で)――フランコ・ミリアッチとの共作で、すぐに「ヴォラーレ」(飛ぶ)という愛称で呼ばれるようになりました――によって確立されました。この曲で、彼は1958年のサンレモ音楽祭で、その歌詞と歌唱によって優勝しました。 歌の言葉の中に現れる夢「僕の手と顔は青く染まった/すると突然、風にさらわれた」は、マルク・シャガールのような画家の絵画的な雰囲気を想起させます。それは大衆音楽の世界における真の革新であり、決定的な転換点となりました。「ヴォラーレ」はアメリカで2つのグラミー賞を受賞し、海外におけるイタリアのポピュラーソングの確立に貢献しました。
モドゥーニョを特別な存在にしたのは、1950年代にローマの国立映画実験センターで学び、1957年にはエドゥアルド・デ・フィリッポの舞台劇「フィロメーナ・マルトゥラーノ」で共演するなど、長年にわたって培われた俳優としての才能です。
1960年代初頭、サンレモ音楽祭はモドゥーニョにとって特別な舞台となりました。1959年に「Piove」(ピオヴェ、Ciao, ciao bambinaとしても知られる)で再び優勝した後、1960年には「Libero」(自由)で2位となり、1962年には「Addio... addio」(さよなら…さよなら)、そして1966年には「Dio, come ti amo!」(神様、なんてあなたを愛しているのでしょう!)で優勝しました。1975年には、強いメロドラマ的な要素を持つ(そしてモドゥーニョ自身による自虐的なパロディも存在する)「Piange il telefono」(電話が泣いている)が商業的に大成功を収めました。