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【第1話】シチリア島出身の著名人:その1 アルキメデス(Archimede)

※2024年4月から森下文化センターのイタリア語講座で教材として取り上げている内容を
編集して載せています。

第1話 シチリア島出身の著名人:その1

1) アルキメデス(Archimede)
(シラクサ、紀元前287頃生~シラクサ、紀元前212年頃没)
数学、物理学、発明の分野で卓越した業績を残した古代ギリシャの科学者。
シラクサの住民たちは、ある日、彼らの偉大な同郷人であるアルキメデスが通りを狂ったように走り回っているのを見て非常に驚きました。彼は走りながら「エウレカ!エウレカ(Eureka! Eureka!!)」と叫んでいたのです。ギリシャ語で「見つけた!見つけた!」という意味です。
この科学者は一体何を見つけたのでしょうか?何が起こったのでしょう?そう、彼は確かに何かを見つけたのです!入浴中に、自分の体が浸かっている水の量が自分の体の体積と同じであるために、自分が浮いていることに気づいたのです。今では周知のことですが、彼以前には、誰もこの現象に気づいていませんでした。だからこそ、彼はとても喜んでいたのです。

古代の最も偉大な科学者の1人であるアルキメデスは、紀元前287年から212年頃まで、シラクサの歴史の中で最も悲劇的な時代に生きていました。アルキメデスは、愛する街の陥落を防ぐために、多くの兵器を考案しました。彼は「ウストリ(ustori)」と呼ばれる奇妙な鏡を作り、太陽光線を集めて敵の船に照射し、燃やしたのです。しかしながら最終的に街は陥落し、ローマ人たちによって恐ろしい略奪を受けました。
ところが、ローマの執政官マルケルスは、兵士たちにアルキメデスを尊重し、彼の髪の毛一本も傷つけないように命じていました。しかし、この偉大な人物は、高齢で耳が聞こえず、爆弾や戦争の音を聞くことができず、複雑な機械の中で研究に没頭していました。そこで、兵士は彼がアルキメデスであるとは知らずに殺してしまいました。
アルキメデスを大切に思っていた執政官マルケルスの悲しみは大きく、偉大な科学者アルキメデスのために記念碑を建てました。
1. ラファエロの「アテネの学堂」に描かれたアルキメデス?
ルネサンス期の巨匠、ラファエロが描いた「アテネの学堂」は、バチカン美術館で見ることができる有名な絵画です。この作品には、古代ギリシアの哲学者や科学者が描かれていて、哲学者プラトンとアリストテレスは、構図の中心に位置しています。その中に手前でコンパスを使って何かを証明している数学者がいます。真実は定かではありませんが、この人物を、アルキメデスだと考える人もいれば、ユークリッドだと考える人もいます。

2. 円周率の近似値を最初に求めたのはアルキメデス
アルキメデスは、円周率(π)の近似値を最初に科学的に求めた人物としても知られています。彼は、円に内接する多角形と外接する多角形の周長を計算することで、円周率の範囲を絞り込みました。
現在では、円周率は3.14159...と無限に続く数であることがわかっていますが、アルキメデスが求めた近似値は、今日の数学においても重要な意味を持っています。ちなみに、3月14日は円周率の日とされており、3.1415の近似に合わせるために、午後3時15分からこの日を祝う人々もいます。

引用文献:Viaggi e Vacanze in Italia - IlComuneInforma
次回3月8日は「ヴィンチェンツォ・べッリーニ: Vincenzo Bellini」です。